好きだからこそ、苦しくなる。
それが「ガチ恋」の難しさかもしれません。
昔は私も「ガチ恋」でした。
遠い距離だったけど、時々近くに感じることもあり、難しかったです。
今も推し活真っ最中ですが、今はガチ恋とは言えないかな(認めていないだけなのか?)。
そんな私が、「ガチ恋」という気持ちについて書かせていただきました。
私は、基本的に「節度のある中で、心は自由」という考え方が好きです。
頭からガチ恋を否定するのは反対派です。
よろしければ、少しだけお付き合いください。
昔のガチ恋事情
今のようにインターネットもなく、情報も限られていた時代は、推しとつながる手段は限られていました。
まずは、そんな時代に私が経験した「ガチ恋」の話を少しだけ・・・。
私は昔、遠い距離の人を好きになりました。
それでも、
「仲良くなりたい」「仲良くなれるのでは?」と
ご縁の期待をする部分が大きかったです。
友人も別の推しにガチ恋していたので、共に戦略を立てて、お近づきになろうとしていました。
とはいえ、運営のルールを無視した「しつこいやり方」はタブー。
当時、SNSはもちろんメールすらなかったので、
「手紙作戦」「現場でにこやか作戦」でした。
そんなには会いに行けない推しでしたから、「手紙作戦」のファンレターは重要でしたね。
時々行く現場では、推しを身近に感じられる場面もありました。
近くに感じるときは嬉しかったですが、その後何もない時間の方が長く、余計に苦しかったです。
そんな私は、のちに普通に恋愛結婚をしました。
ガチ恋に片足突っ込んだ件
その後、楽しい箱推しから選抜推しになり、そして単推しに。
ガチ恋なんてもう無縁だと思っていたのに、
最近は、否定もできないくらい、一人を追うようになってしまいました。
正直、恥ずかしいです。
でも単推しでガチ恋に片足を突っ込むと、周りの景色が違いました。
友人が「あ、あなたはこの人が好きなのね」とわかりやすいのか、話もさらに深くなりました。
選抜推しの症状があるので、もちろん他の方にも目は行きます。
でも、一人を中心に楽しむことが、
こんなに幸せな気持ちにさせてくれるのか……と実感しています。
現場では、年齢は関係なく、皆さん楽しそうに「好き」を表現している印象です。私だけじゃないと言いたい。
ネット時代のガチ恋は、ちょっと難しい?
今の社会はSNSが大きな交流手段になっていますね。
推し関連のSNSもあったり、ファン自身のSNSもあったりして、現地でなくても接点があります。
その分、複雑な感情を抱くガチ恋勢もいると思います。
私の時の郵便社会とは違いますよね。
苦しくなったり、疲れたりすることもあるけど、どう考えたら良いのかな?
その考え方の一つを次の章に書きます。
会わない時間も、推しへのプレゼント
今もガチ恋かも?(絶対認めたくない50代)
でも、もう苦しさは減りました。
会わないことも推しへのプレゼントだとわかったからです。
しつこくない私、近づこうとしない私。
だから推しの自由が守られている。
と、少し飛躍した考えかもしれませんが、こう考えるとラクですし、会えないのがツライという気持ちも薄くなると思います。
高年齢だから苦しくないということではなく、線引きができて、推しを守ることができているというところだと思います。
現代は情報社会になったので、推し自身にもいろんなところに緊張があることでしょう。
推しのプライベートをより大事に考えるべきかなと思います。
節度を持って、本当に許される範囲だけの応援にとどめれば推しが安心してくれると信じています。
だから、会えないときにも推しの安心に貢献できていると思って、苦しさは減っているのです。
もちろん、会いに行ってはいけない・・という意味ではないです。公的に会えないときの考え方です。
止められないけどちゃんと帰る。まじめなガチ恋勢。
ガチ恋は、感情による自然なことだと思います。
「止めて」と言われても、止められるものではありませんね。
誰かに忠告されて、そのとおりになるほど簡単ではないはずです。
「好き」と思える時間は、何も感じない日々よりずっと豊かで温かい時間です。
現地にいるファンの皆さんがニコニコしているのを見ていると、その幸せがよくわかります。
ガチ恋勢は、帰ると淋しくなったり、苦しくなったり疲れたりしますよね。
でも、そのように悩む人は、きっと推しとの線を上手に引ける人です。
無理に踏み込まない距離感が推しへの大切なプレゼントになっています。
推しのプライベートに踏み込むような人は、
実はガチ恋で苦しまない人なのかもしれませんね。
イベントのあと、さっと帰るのも立派なプレゼント。
いてはいけない場所に「とどまらない」ことは、
推しのためにできる「行動のやさしさ」だと思います。
推しが「応援ありがたい」と公言することは多いけれど、
本当の意味でありがたがってもらえるのは、
節度を持って見守るファンだけかもしれません。
ありがた迷惑にならないように、続けていけたら良いなと思っています。
好きはいいこと。プラスの感情。
でも、「私は好きだから悪いことしない」と思い込んで近づくのは違うと思います。
相手に迷惑をかけないことも、大切な「好き」のかたちですよね。
大丈夫、好きは誰にも笑われない
高校生のころ、ある先生が言いました。
「有名人と結婚したいなんて本気で言っている人がいるのよ(笑)」と。
その笑い声を聞きながら、
私は心のどこかで「それって、何がいけないの?」と思っていました。
たとえ叶わなくても、誰かをまっすぐに想う気持ちは、誰にも笑われるようなものではありません。
結婚できても、できなくても、
「推しを好きな気持ち」は、心で思うだけなら、誰の邪魔にもならない。
夢を見る自由も、憧れる自由も、「心の自由」。
誰かが奪うことはできないと思うのです。
他人の自由を束縛するような考え方より、
人の想いを尊重できる空気が好きです。
そして、そんな私でありたいと思っています。
「彼氏作れ」「現実に目を向けて」とか、いろいろ言われるかもしれませんが、そう周りに言われても心が動くわけではないですよね。
まとめ:苦しくならない「おまじない」は・・
昔の私はガチ恋でした。
今は、単推し(と言わせてください。ガチ恋だなんて認めたくないです。)。
今は昔ほどの苦しさはありません。
推しを好きになることに年齢も型もなく、
姿を思い出して笑顔になれるなら、
それで良いのだと思います。
現場に行けなくても苦しくないおまじないは・・・
「会えない日には、推しに自由をプレゼントしている」
こう思って、推しとの心の時間を大事にしたいですね。
素敵な贈り物の時間になりますように。
よろしければこちらもご覧ください。

