認知してもらうかどうかに関係なく、「ファンの姿」は推しが見ると思います。
推しが楽しく過ごしてもらえそうな状況を作るのは「ファンの役目」でもあるように思いますし、
推しがファンとの交流を楽しむには「安心感のあるファン」が理想なのかもしれません。
推し活といってもいろいろな分野がありますし、状況はそれぞれ違いがありますが、今回書かせていただくのは「ちょっと近くで推しに会える」という比較的恵まれた環境のお話です。
私が経験した小さな世界のお話ですが、ファンが「推しにとって楽しめる状況を作る」という視点は、どこの推し活でも変わらないと思います。
ちょっとだけでも読んでいただけたら嬉しいです。
出会いから始まる、静かな関係
一度お会いしただけでも温かく受け入れてくださる推しもいて、そのやさしさには感謝していました。
けれども、関係が少しずつ続いていくには、
やはり丁寧に向き合うことが大切だと感じました。
何度か挨拶を重ねるうちに、推しとの間の空気がやわらかくなっていく。
そんな場面に出会うと、嬉しい気持ちになりました。
「変なところがない」という安心感
短い交流を積み重ねていく中では、
「変なところがないような私でいたい」と思っています。
それが推しの安心感につながると考えたからです。
私の動きや挨拶で、推しに不快な思いをさせないようにしたい。
そんな気持ちで過ごしてきました。
言葉を選び損ねたり、タイミングを外してしまったりしたこともありました。
でも、そのような小さな失敗も、
誠実さから出たことであれば受け入れてもらえたように感じました。
反対に、自分中心の思いが前に出すぎると、
せっかくの穏やかな空気が遠のいてしまうこともあるのかもしれません。
だからこそ、いつも丁寧に言葉を選ぶようにしてきたつもりです。
差し入れやプレゼントのとき
差し入れやプレゼントは、
推しとの交流の一つだと思っています。
渡すときは、タイミングも難しいです。
急いでいる時でも、推しは受け取ってくださることが多かったですが、
その場合は「お疲れさまです」と急いでお伝えしていました。
少しもお話できないことを想定して、あらかじめメッセージカードを用意していました。
少しお時間をいただけるとしても、ほんの少し言葉を言う程度でしたが、
その時間は、その日の流れの中で自然に決まるものだと思いました。
その場の空気を読み取りながら行動できるように、これから機会があっても慎重に判断していきたいと思っています。
穏やかなファンならでは。これが距離感の正解?
以前、他のファンの方と、
「あまりしつこくしても、嫌われてしまうよね」
と、そんな話をしたことがあります。
みんな同じように気をつけながら、
穏やかな関係を大切にしているのだと思いました。
確かに、アピールしない穏やかさが、かえって好印象につながることもあるように思います。
ファンは、
推しを尊重して、たたえる。
「これだけの行動」にしていれば、間違いないのかもしれませんね。
積み重ねの中で見えてくるもの
推しと何度も顔を合わせるうちに、
初めましての頃とは少し違う空気を感じることがありました。
挨拶が自然になり、笑顔が増えていく。
そんな小さな変化に気づくと、
静かに、出しゃばらずに積み重ねてきた時間も形になっているのかなと思いました。
わずかな空気の変化が、実は、
高価な贈り物よりも価値がある、
推しからの、素敵な時間の贈り物
と言えるのかもしれません。
認知を求めるわけでもなく、ただ挨拶や会釈を繰り返しただけの時間。
それが巡り巡って、わずかに朗らかな空気に変わる。
目に見えるものではなく、
時間の中で育っていく安心感。
それこそが、信頼なのかもしれません。
静かな行動を選んだ先には――
良い関係を保つために、
その都度、少し立ち止まって考えるようにしてきました。
挨拶や距離の取り方を振り返って、
「もう少し言葉を言えば良かったかも」と思うこともありました。
けれども、後に、推しの笑顔やちょっとした言葉に触れた時は、
「あのときの言葉で良かったのかもしれない」とホッとすることもありました。
推しとの間の、わずかな空気感の変化は、推しからの「信頼」だったと思っています。
信頼は、お金では買えない―と思います。
差し入れやプレゼントを渡すと受け取れるというものでもない。
推し中心の時間と気持ちを、穏やかに重ねる中で、少しずつ形になっていくもののように思います。
今後も、どこかで穏やかな交流があるならば嬉しいことです。
信頼は、目に見えない時間の中で、少しずつ育っていくのだと思います。
言葉にしなくても伝わるものが、きっとあると信じています。
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